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古いお人形

私は古いものが好きである。古いものに触れて、癒されることが多い。
安心できるのである。
古いものは善い。「昔からある」ということは、其の誕生からこっち、
すべて片付いて終わっている。ということだ。
たとえば人形に置きかえてみるとわかりやすい。
ここに百年以上たつ、おかっぱ頭の可愛い市松さんがいて、赤いお着物でいつも私にこう囁いてくれる。
「あなたのしてきたことは、争いも、悲しみも、憎しみさえみんな見てきたけど、みんな受け入れております。」と。
其のお顔はすべてを呑み込んでなお穏やかに笑っている。其の微笑に私はふっと、肩の力を抜くことができる。今からではどうにもならない過去の過ちをも、許してもらえた気がするのである。
古いお人形は暖かい。まるでひっそりと佇む、路傍のお地蔵様のようなやさしさがある。

人形遊びのススメ

人形を神仏化したり、擬人化したり、人間である私はずいぶん勝手なようだが、もっといっぱいお人形さんと遊んでほしいと思うのは、お人形のため、というより自分のためである。
人形に接している時、人は自分に接していると私は思っている。
相手が人間だと焦ったり気を遣ったりして、その反応に対応しているうち自分を見失ったり、自分が見えなくなったり、果てはワザとそうしなければならなかったり。
でも相手が人形なら、彼らに向けて送り出した感情は、そのままストレートに自分に帰ってくるのである。まるでブーメランのように。
先日、こんなことがあった。久しぶりに納戸から引っ張りだしたドイツのビスクドール。包みを開けてみたら、グラスアイが外れて頭の中でコロンコロンと音がする。どうやって直すかもわからずに格闘の末、四時間後やっと元通り。
じつは「可愛くない」と思ってしまい込んでいた人形だった。スリーピングアイだったことも忘れていた。
それが目を閉じて、また目を開けて、「ありがとう」と私に言っているように見える。直してやったら何故か急にその人形を心から可愛いと思っている自分に気づいた。
それではと、もっと可愛くしてやろうと思い立って、ちょうど近くに座らせていた私の作った人形から、ちょいとお帽子を拝借した。
「可愛くなること可愛くなること」。羽根飾りのついた、お花いっぱいの帽子をチョコンと頭にのせて、ドイツ人形はパッとひかり輝きだした。それは派手な帽子のせいで明るく見えている、ということでは決してない。まさしく人間世界の感覚で、たとえて言うなら長い間、孤独に寂しく沈んでいた者が、誰かにかまってもらえた嬉しさに、思わず楽しそうに笑ってしまい、その笑顔が体中を内側から明るく照らし出している感じ、なのである。
この子をなんとか直してやりたい、という私の感情、何とか可愛くしたいと思った気持ちが邪気のない、無心なものだったのだろう。不思議な体験でもあった。
また、一方で、帽子を取られてしまったお人形は、とふと見れば、これがおかしいぐらいに意気消沈している。すねているようにも見える。面白いことである。もちろん人形に感情があるわけではない。全部私の感情である。
私はきっと、その人形から帽子を剥ぐとき、「悪いな」と、自分でも気づかぬうちに思っていたのだろう。普段から他者への思いやりに欠けているのでは、と思うこともあるのだが、これで案外、私って優しいのかも。と、自己分析する。
お人形遊びをして、こんなふうに自分を客観視するのも一興。子供の頃に返って「可愛い、すてき!」と大はしゃぎして、無心で遊ぶのが一番善い。そうすれば素顔の優しい自分に出逢えるかもしれない。

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